GW期間中は、もくもくと原稿を書いているのも気が滅入るので、ウォーキングと料理、適量飲酒に努めています。
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特に料理に関しては、電気圧力鍋を購入してから煮物に力を入れている、というか、材料と調味料を入れれば、勝手に出来ている、という手軽さに惹かれ、土日は特に気合入れていろいろと作っているのですが、
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毎回『びみょーに』味が変わるのが奥が深いな、と思っています。
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特にポテトサラダなんかは、材料のじゃがいもがうまくゆであがり、ふかしあがればあとは具材や調味料を入れて作れる手軽さから、常備菜としてヘビーローテーションとなっているのですが、
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面白いくらい毎回『びみょーに』味が違います。
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なんだろうな、毎回マニュアルに書かれている分量を正確に入れたとしても、
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原料のジャガイモとか、温度とか入れるタイミングとか正確さとか、
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おそらくいろんなファクターが複雑に絡まっているのが(なんとなく)わかります。
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そんな時に感じるのが、やはり『おばあちゃんの知恵袋』というか、だいたいのところで味を仕上げる感覚なんだろうな、と思います。
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俗にいう、〇〇少々、△△ひとつまみ、■■ひとすくい、というような表現ははっきり言って分量ではなく感覚です。
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そうか、料理にそんなに厳密性、正確性を求めてはいけないんだな、
そういうことに気づかされたのは、やはり食べたときに『おいしい』『おいしくない』という結果の原因が突き止めにくいな、と感じてからでした。
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こうしたところは、英語、とりわけTOEIC学習に似ていて(強引なこじつけかもですが)、
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例えば、学習を突き詰めていくと、当然ですが、文法問題というのは必ず理屈で解けるようになっており、Part-5の文法問題なんかは正解と不正解の差は、文法のルールに即している・いないで解決することが出来ます。
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でも、
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990点を突き詰める、とまではいきませんが、例えばAbilities Measured(項目別正答率)のR5を100%取りたい場合は、最後の1,2問で『なんじゃこりゃ?』というのが出てくるわけです。
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もちろん、知らない人にとってはですが、知っている人には楽勝となるので、知っているかどうかで解決できる場合があります。たとえば、動詞的動名詞と名詞的動名詞の違いや、形容詞の副詞的用法とかは、文法を奥深く学習していけば巡り合えますが、とりわけサラリーマンがやり直し英語で、始めると出会うのは難しいです。
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では、どうするか?
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いつのことだったが、とある拙著でお世話になったネイティブに、尋ねたことがありますが、解答はおそろしくシンプルでした。
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『だって、そういう言い方するのが自然だから』
『なんかその言い方はしっくりこないから(特にawkward(しっくりこない)と表現を使われることが多いです)』
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要するにネイティブとして、しっくりくるか来ないか、という視点が重要、ということなんです。
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同じことが我々日本人にも入れるかもしれませんが、日本語学んでいる外国人に、
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『すみません、どうしてここには連用形が入るんでしょうか?』
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こんな質問をされて日本語の文法をしっかり答えられる日本人がどれくらいいるんだろうか、と考えると、そんなにいないのでは、と思っています。
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だって、そんなこと知らなくても普通に生活できるくらい日本語を操れるから。
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そういうやりとりを経て、1つの真理、というか考えにたどり着きました。
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文法の知識はそれはそれで大事。ただ、それだけではきっと取りこぼしがあるから、感覚として思い浮かぶくらい英文を読んでインプットを仕入れよう。
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その方向に考えをシフトしてからは、あまりTOEICの問題にストレスを抱えなくなりました。
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結論:何事も理屈と感覚を柔軟に。
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Tommy