ひさびさの日曜日のクリスマスイブですね。
私は絶賛普通に過ごしております。
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さて、クリスマスと関係がないですが先日こんなことがありました。
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ある件で、20代の方にいろいろと質問していたことがあったのですが、
『ええと、一人暮らしならコンビニとか通いますか?』
『いえ、引き篭もり派なのでウーバーで玄関前においてもらっています。荷物も宅配です』
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こんな会話をしていました。そして『資格・検定試験も自宅でやってくれるとありがたいのに』という発言もありました。
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なるほどなあ、確かにカンニング問題等、セキュリティ面でクリアになれば、正直生成AIにでも頼むと、問題をある程度膨大に作成しておいて365日テストが出来る環境をネットワークに置けば、無限にテストは出来るような気もするなあ、と思いました。今はメタバース等の空間を作れればリアルにテスト環境に身を置けるし、実は遠い将来そんなにかからずできるのでは、とか感じています。
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実はこれ、10年前くらいから想像していたのですが、ある月に対してガーっと勉強するのではなく、自分がある一定レベルに到達出来たらいつでも受験できるくらいのインフラを整えてあげるとすごくよいのでは?と常々思っておりました。
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なんとなくそんな未来も現実に近いような気もしてきたな、と思う反面、
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現行のテストの良さ、というか違う側面での良さが失われる気もしました。
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なんとなくですが、
テストって当日だけではなく何日か前からそわそわしながら準備をして、当日を迎えて、ああ、今日は〇〇大学か・・・と思いながらも荷物を用意して、身支度して、写真も持ったし、食事はコンビニであれとこれを買って、よし、準備OK、みたいな態勢を整え、そして受験し、一喜一憂しながら、帰途に。もしくは試験頑張ったご褒美でいつもは食べない△△パフェを食べ、あるいは仲間と居酒屋であのパート1の手に傘を持った女性の問題難しくなかった?と共感しながら、相互学習しながらよし明日も頑張るぞ!といった、間接的・副次的な楽しい側面がなくなる、という気もしています。人によってはそっちが主目的な方もいるかもしれません。
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テクノロジーが進化すると、そもそも語学学習の必要性すらなくなるかもしれませんが、人対人のコミュニケーションは仮にテストを通じて、ではなくても大事にしたいですね。考えたらTOEICのCはcommucationのCでもあるので、そのあたりは尊重してくれるかもしれません。
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こんなことを考えつつも、これから東京を離れるので、また慌ただしく移動してまいります。
では!
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Tommy