雑感:認識を変える

少し前になりますが、あるPart-7のシングルパッセージの問題で質問を受けたことがあります。

『この問題、正解は(C)なんですが、どうして(B)じゃいけないんですか?』

『(B)の記載は本文に書いていないよ』

『(B)は、第2段落の2行目に記載があるじゃないですか』

『いや、この2つの記載は言いかえになっていないよ』

『でも、stayとありますから滞在する、ですよね』

『いや、ここのstayは第2文型のstayで直後にalert、とあるよね。だから、滞在する、という意味にならないんだ』

『なるほど、でも(C)こそ記載がないですよ』

『いや、(C)こそ第3段落の1行目の表現が言いかえになっているよ。この代名詞は前の段落を受けているし、言いかえ表現も使っているから合っているんだ』

『・・・・。』

『たしかに釈然としないかもしれないけど、少し時間をおいてもう一度読んでみて。』

『わかりました。』

ある問題を解いてみて、これは間違いなく(B)だ、と思うと、その(B)だという論拠を必ず求めるものです。しかしながら、その(B)の論拠が実は異なっていた場合でも、自分が強く(B)だと思うと、その問題が不正解だった場合になぜ不正解か気づかない場合があります。解説に書いてある場合もそうじゃない場合によって差はありますが、その論拠を求めるときに何が異なっていたか、語彙なのか文法なのか。

それを探して自分の間違いを見つけ、認識を改める。認識を改める、と言っても、間違いだったことを認める、ということよりも間違う過程で『どこを認識間違いしたか』を発見する。

それこそが学習だと思っています。

その認識を変えずに、『なんだたまたま読み間違えた。ミスった。』というヒトはレベルアップが実は遠のいているかもしれません。

一方で、謙虚にその過程を丹念に調べて、そうかこう考える可能性もあるな、と思い、認識を改め、自分の血肉にしていく人ほど上達、ひいてはスコアアップにつながる人なのだと思います。

Tommy

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