先日、某スーパーを訪問した時のアイスコーナーで3色トリノ、というアイスを見かけました。
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幼少期に駄菓子屋でよく買ったな、
→ よく考えたらあの時は30円くらいだったな、
→ 今は80円ほどか時代の流れだな
→ とはいえ、うまい棒は12円か、すごい企業努力だな。
→ オマエも努力しろ、と言われている気がする。
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そんな思考に陥ってしまいました。
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思考といえば、
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TOEICといえば、知識もさることながら、
客観的に問題を聞き、読み解く(SWは話す、書く)ことが求められます。
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先日もある出版社さんからこんな質問来ていますよー、
ということで間接応答に対する考え方について質問が来ていました。
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確かに間接応答は慣れないと難しいですが、TOEICの場合は理屈としてはそんなに凝っていない気がします。
・AかBかでAを否定 → B
・暑いか寒いかでセーターが必要 → 寒い
・外か中の座席で雨だという → 中一択。
という典型的な質問に関してはパターンがあるような気もしますし、
・なぜという問いに答えていなくても正解な場合はなぜか?
→ 前提が変わった、という考えもある(例なぜ部品がないのか? → ここにあるよ)
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客観的 = ある程度ロジカルな側面も求められるので、こういう考えを瞬時に選択できない場合は、日本語訳を見て客観性がある、ないを鍛えたほうがよいです。
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そもそもですが、
普段の会話からこの『客観性を意識しているしていない』で、だいぶ見方が変わってきます。
世の中でも、論点がズレている、のであれば『どこでやるか?』の議論に対し、『何をやるか』にすり替わっていたり、『このイベントをなぜやるのか』という議論に対し、『誰とパートナーを組むか』にいつの間にか変わっていくのは、全員、とはいいませんが、複数の人が論点を勘違いしているのかもしれません。
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そんな時、何気なく、『本来は~を決めるのが今日の目的・ゴールですよね?』とつぶやいてみるとよいでしょう。それが正解なら誰も否定しませんし、正解し続ければ客観性のレベルが上がっていきます。
とはいえ、あまりに客観性ばかり求めていると会話がツマらなくなることもありますのでほどほどにしたほうが良いと思います。
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さて。
今晩は⚽の試合があります。
ここは客観性を一切捨てて、本能で応援しまくって、明日からまた客観性を取り戻したいと思います。
ガンバレ、ニッポン!
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Tommy